卑弥呼の正体|日本の記録に出てくる5人を、魏志倭人伝の8つの物差しで採点した
卑弥呼は誰だったのか。日本書紀にも古事記にも「卑弥呼」の名前は出てきません。そこで、卑弥呼の正体としてよく名前が挙がり、日本の記録に人として出てくる5人(倭迹迹日百襲姫・神功皇后・倭姫と豊鍬入姫・甕依姫・田油津媛)を、魏志倭人伝が卑弥呼について書いた8つのこと(女王・鬼道・年長・夫がいない・弟が助けた・3世紀・13歳の一族の娘が継いだ・大きな墓)で、同じように比べました。1人ずつ、どんな人だったのか(家族・有名な話・今どこに祀られているか)から紹介し、説を唱えた人の根拠と、日本書紀・風土記の原文も確かめています。天照大神は、モデルが卑弥呼だという説はありますが、神話の神なので今回の候補からは外しました。日本書紀が神功皇后の巻に貼り付けた魏志の記事も、原文で確かめました。一番多く合ったのは誰だったのか。あなたは卑弥呼は誰だと思いますか? ぜひコメントで教えてください。
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▼目次
0:00 卑弥呼の正体の候補5人を採点する
0:50 物差しの作り方
3:19 百襲姫
6:16 神功皇后
10:45 倭姫と豊鍬入姫
13:29 甕依姫
15:49 田油津媛
18:06 答え合わせ
▼この動画の物差し(点の付け方)
・日本の記録に、倭人伝の通りに書いてあれば「合う」、似ているが少し違えば「一部」。合う=1点、一部=0.5点
・女王:国を治めたと書かれていれば「合う」、祭りの長なら「一部」
・夫がいない:夫がいないと読めれば「合う」、人の夫はいないが神の妻なら「一部」
・3世紀:日本書紀の年はそのまま西暦にならないため、書紀の編者が置いた年や研究者の説で3世紀と言える物は「一部」。考古学の年代で研究者の見方が割れている物も「一部」
・0点は「日本の記録に書かれていない・まだ確かめられていない」という意味で、その説がハズレという意味ではない
▼出典・参考
一次資料
・『三国志』魏書 東夷伝 倭人条(魏志倭人伝)
・『日本書紀』巻1(神代)・巻5 崇神紀・巻6 垂仁紀・巻7 景行紀・巻9 神功皇后紀
・『筑後国風土記』逸文(『釈日本紀』所引)、『肥前国風土記』
研究
・白鳥庫吉「倭女王卑弥呼考」(1910)、内藤湖南「卑弥呼考」(1910)、笠井新也の百襲姫説、古田武彦の甕依姫説、井上光貞の紀年の見方、新井白石・本居宣長の説
・Wikipedia「卑弥呼」「倭迹迹日百襲姫命」「吉備津彦命」「岩戸山古墳」「倭姫宮」「箸墓古墳」「神功皇后」「五社神古墳」「倭姫命」「豊鍬入姫命」「甕依姫」「神夏磯媛」「田油津媛」ほか
地図:国土地理院 標高タイル・陰影起伏図を加工
画像:Wikimedia Commons(各画面に表示)
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