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武田信玄一族のその後。天目山で滅んだはずの武田は、信玄が戦った相手のもとで幕末まで続いていた

天正10年(1582年)、天目山で滅んだはずの武田家は、280年余り後の幕末まで続いていました。 教科書が「武田氏滅亡」で終わらせた、その先を、幕府の系図集『寛政重修諸家譜』と武田家に伝わる系図で確かめながら追います。 6歳で残された勝頼の娘。将軍家の子を育てた信玄の娘・見性院。八王子で生きた松姫。島から戻った次男の家。 信玄の血と、武田の名は、どこでつながったのか。 0:00 天目山、そして 1:07 信玄が結んだ縁組の地図 4:38 天正10年3月の武田 7:49 6歳で残された勝頼の娘 12:06 穴山梅雪の妻・見性院 14:52 北条に嫁いだ娘たち 17:15 八王子の松姫 19:37 盲目の次男・竜芳の家 23:38 高野山へ逃れた六男 31:05 信玄の血はどこへ 甲斐、信濃、八王子、米沢、伊豆大島。武田の家臣の家だったという言い伝えや、ご先祖のお話があれば、ぜひコメントで教えてください。 チャンネル登録も、よろしくお願いします。 ※人物の絵は、実在する史料だけを使っています。肖像の残っていない人物や、使える画像のない人物は、空いた額に名前だけで示しています。武田信玄の肖像は、東京国立博物館所蔵の模本(2種類)です。 ※年号・石高・続柄は『寛政重修諸家譜』ほかの史料で照合しています。説が分かれるところは、動画の中で出どころを言って分けています。 ※米沢の武田家の記事は、市立米沢図書館『源姓武田氏系図』より、字句を文字で引いています(系図の画像は使っていません)。地図の位置は概略で、海岸線は現在のものです。 【出典・クレジット】 国立国会図書館デジタルコレクションより:寛政重修諸家譜 第一輯 https://dl.ndl.go.jp/pid/1082717 ・第二輯 https://dl.ndl.go.jp/pid/1082719 ・第四輯 https://dl.ndl.go.jp/pid/1082713 ・第七輯 https://dl.ndl.go.jp/pid/1082721 /大成武鑑 巻3(慶応2年) https://dl.ndl.go.jp/pid/2602907 /林和『柳沢吉保』(1921年)口絵 https://dl.ndl.go.jp/pid/964263 市立米沢図書館『源姓武田氏系図』より(字句の引用) 武田信玄像(模本)2点・織田信忠像(模本)・徳川家康像(模本)東京国立博物館所蔵 出典:ColBase(https://colbase.nich.go.jp/)を加工して作成 保科正之画像模写(阿部逸山 模写)会津若松市立会津図書館 / CC BY(ADEAC) 信松院の絵葉書(松姫の墓・境内)たましん地域文化財団 所蔵 / CC BY 4.0(ADEAC) 地図:国土地理院 地理院タイル(陰影起伏図)を加工して作成 https://maps.gsi.go.jp/development/ic... 写真(Wikimedia Commons):景徳院 山門 (関西地方) / パブリックドメイン、高野山奥之院 武田信玄・勝頼の墓所 Fg2 / パブリックドメイン・nobu3withfoxy / CC BY 2.0、高野山 奥之院 lumoplank / CC0、高遠城址公園 shikabane taro / CC BY 3.0、最恩寺 浅野ます道 / CC BY 3.0、信松院 小池 隆 / CC BY 3.0・CC BY 4.0、恵林寺 funk bass / CC BY 3.0、伊豆大島の海 Guilhem Vellut / CC BY 2.0、八幡原史跡公園 baggio4ever / CC BY 3.0、米沢城跡の堀 Syced / CC0 BGM:OpenTracks(旧DOVA-SYNDROME)https://opentracks.com/ 「夜桜ひらり朧月」こーち/「時果ての野」のる/「大河」伊藤ケイスケ/「雪月花」まんぼう二等兵/「雨情」のる/「懐かしき風景」すもち BGM:甘茶の音楽工房 https://amachamusic.chagasi.com/ 「桜雲」甘茶 #日本史 #武田信玄 #その後

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