アンリ・ルベーグ ── 測ってから、数える|積分の刻む対象を変えた男が、自分の犯した誤りを『実り多き誤り』と呼んだ話。彼は積分の教え方を訊かれて『もちろん、リーマンからだ』と答えた。
アンリ・ルベーグ ── 測ってから、数える|積分の刻む対象を変えた男が、自分の犯した誤りを『実り多き誤り』と呼んだ話。彼は積分の教え方を訊かれて『もちろん、リーマンからだ』と答えました。
リーマンの積分には、極限と積分が入れ替わらないという壁がありました。
1901年、ルベーグは定義域ではなく値域を刻み、集合の大きさを先に測る新しい積分を定めます。
しかし1905年、彼自身の論文に証明なしで置かれた補題が偽でした。
その誤りから記述集合論という新しい分野が生まれ、彼はそれを「実り多き誤り」と呼びます。
アンリ・ルベーグの生涯と数学的業績を紹介します。
数学者の人生と業績を追うドキュメンタリーチャンネル「数学史記」。
0:00 導入
1:36 印刷所の町から、考えてみせる人
7:15 測ってから、数える
15:27 もちろん、リーマンからだ
【注】
本編では「リーマンで積分できるものはルベーグでも積分できる」と述べていますが、正確には有界閉区間上の話です。リーマンの意味で(広義でなく)積分できる関数はルベーグ可測で積分値も一致しますが、広義積分には例外があります ── たとえば sin(x)/x を 0 から無限大まで積分したものは、広義リーマン積分としては収束しますが、絶対値の積分が発散するためルベーグ積分としては定義されません。
本編で「極限と積分を入れ替えてよい」と述べた定理には仮定が要ります。優収束定理では、関数列のすべてを絶対値で押さえる可積分な関数が存在することが必要です。単調収束定理では、非負で単調増加であることが必要です。仮定なしに入れ替えてよいわけではありません。
本編で触れた「測れない集合」の存在は、選択公理に依存します。1970年にロバート・ソロヴェイが、選択公理を弱い形(従属選択)に置き換えれば「実数のすべての集合がルベーグ可測である」ようなモデルが作れることを示しました(到達不能基数の存在を仮定します)。測れない集合があることは実数そのものの性質ではなく、どの公理を採るかに依存します。
本編で「ボレル集合の射影はボレル集合とは限らない」と述べましたが、射影して得られる集合(解析集合)が測れないわけではありません。解析集合はボレル集合とは限りませんが、ルベーグ可測ではあります。本編に出てくる二種類の「はみ出した集合」── ヴィタリの測れない集合と、スーシンの解析集合 ── は別のものです。
【BGM】
Angel's Dream - Aakash Gandhi(YouTube Audio Library)
【映像素材】
AI生成画像:Google Gemini
数式アニメーション:Manim Community(https://www.manim.community/)
地図データ:Natural Earth(パブリックドメイン)
【画像クレジット】
本編およびサムネイルの肖像画は、以下の肖像写真を参照として、AI(Google Gemini)で油絵風に生成しました(原著作者とライセンスは下記のとおり)。
LebesgueH.gif by Unknown author, PUBLIC DOMAIN (https://creativecommons.org/publicdom...) via Wikimedia Commons
https://commons.wikimedia.org/wiki/Fi...
【主要参考文献】
MacTutor History of Mathematics Archive, 'Henri Lebesgue' (mathshistory.st-andrews.ac.uk/Biographies/Lebesgue/) ── 生没の日付と地、父の職業(「Henri Lebesgue's father was a printer.」── 母についても父の死因についても本記事は触れていない)、学歴(ボーヴェのコレージュ、リセ・サン=ルイ、リセ・ルイ=ル=グラン、1894年高等師範学校入学、1897年教員免状)、職歴(ナンシーのリセ1899-1902、レンヌ1902、ポワチエ1906、ソルボンヌ1910と1918、コレージュ・ド・フランス1921-1941)、1901年4月29日の『コント・ランデュ』短報、1902年の学位論文(130頁、ミラノ『Annali di Matematica』)、1903年12月3日の結婚と1916年の離婚、ベールおよびボレルとの反目、名誉と賞を、この記事から得た。
MacTutor History of Mathematics Archive, Extras 'Henri Lebesgue: the Scientist, the Professor, the Man' (mathshistory.st-andrews.ac.uk/Extras/Lebesgue_extra/) ── アルノー・ドンジョワ、リュシエンヌ・フェリックス、ポール・モンテルによる同題の伝記(Enseignement Math. (2) 3 (1957) 1-18 ── 書誌は MacTutor の Lebesgue 記事の文献表に拠る)の英訳。人物パートの挿話(ハンカチによる暗黙の前提の摘発、有機化学の口述試験、『教授にできる唯一の教育は学生の前で考えてみせること』、『数学を錠剤にして飲ませる』ことへの軽蔑、不正義への怒りとアカデミー欠席、ボレルの和解の申し出への返答、占領下の三輪車での通勤、死の床での円錐曲線の口述、『もちろん、リーマンからだ』)は、すべてこの英訳から得た。フランス語の原文は読んでいない。
MacTutor History of Mathematics Archive, 'Mikhail Suslin' (mathshistory.st-andrews.ac.uk/Biographies/Suslin/) ── スーシンの生没日(1894年11月15日 - 1919年12月21日、チフス)、ルジンが学生にボレル集合を研究させ、スーシンにルベーグの1905年論文『解析的に表現可能な関数について』を読ませた経緯、証明のない補題が偽であるという発見、1917年1月8日のパリのアカデミーへの発表を、この記事から得た。本記事は反例が「1916年の夏」に構成され、アレクサンドロフが同年秋にそれを知ったとしており、1917年1月8日は発表の日付である。
Wikipedia (英語版), 'Henri Lebesgue' ── 父を植字工とし「幼いころに結核で亡くなった」とする記述、母を小学校教師とする記述、子の名(スザンヌとジャック)を、この記事で確認した。父の職名が MacTutor の「印刷工」と食い違うため、本編ではどちらにも寄せず「印刷所で働き」とした。記事に掲げられた『一般論に還元されたなら…』の警句には出典注が無く、一次典拠にたどり着けなかったため採用していない。
Wikipedia (英語版), 'Analytic set' ── 解析集合がルジンとスーシンによって1917年に定義されたこと、スーシンが『補集合も解析的ならボレルである』を証明したこと、ルジンの分離原理を、この記事で確認した。
Wikiquote (英語版), 'Henri Lebesgue' ── 1930年のルジン『解析集合とその応用についての講義』への序文からの一節(射影についての主張、『証明は簡単で、短く、そして偽だった』、『実り多き誤り、これを犯したとは、私はなんとよく閃いたことか』)を、このページに掲げられた英訳を通して参照した。1930年版の原文は読んでいない。序文の実在と書誌は、mathnet.ru に登録された Russian Mathematical Surveys 40巻3号 (1985) 9-14頁(DOI 10.1070/RM1985v040n03ABEH003587)の項目で確認した。
Hadamard, J. (ほか), 'Cinq lettres sur la theorie des ensembles', Bulletin de la Societe Mathematique de France 33 (1905) 261-273 ── ツェルメロの整列可能定理をめぐって、ベール・ボレル・アダマール・ルベーグの四人が交わした書簡。numdam (www.numdam.org/item/?id=BSMF_1905__33__261_1) が PDF 全文を公開しており、書誌 (誌名・巻・年・頁) はそのページで確認した。ただし numdam は著者を アダマール一名で登録しているため、ここでも筆頭のみを挙げている。本文は通読しておらず、ベール・ボレル・ルベーグの三人が選択公理に懐疑的でアダマールのみが受け入れる側だった、という点は二次的要約を通して参照した。
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