三方ヶ原の戦いとは何だったのか? 信玄の西上から家康の敗走、その後までを地形と兵棋で解説
元亀3年(1572)12月22日、遠江の三方ヶ原。徳川家康は、甲斐の虎と恐れられた武田信玄の大軍に挑み、生涯最大の敗北といわれる大敗を喫しました。
信玄の西上作戦に始まり、一言坂、二俣城の攻防、織田信長との同盟に揺れる家康の決断、魚鱗と鶴翼の布陣、山県昌景らの猛攻、本多忠勝の奮戦、夏目吉信の身代わり、浜松城の夜と空城の計、犀ヶ崖、そして信玄の最期から長篠の戦いまで。
三方ヶ原の戦いがどう始まり、どう決着し、その後の戦国時代をどう変えたのかを、標高データから作った地形と兵棋(部隊の駒)で、合戦の前後まで通して解説します。
大河ドラマ「どうする家康」で興味を持った方、徳川家康や武田信玄が好きな方、戦国ゲームの合戦を実際の地形で見てみたい方、浜松城や古戦場めぐりの予習をしたい方におすすめです。
■ 目次
0:00 オープニング
0:58 家康と遠江
2:24 甲斐の虎
3:25 崩れた約束
4:39 信玄の西上
6:04 一言坂
7:16 二俣城
8:46 浜松を素通り
9:50 家康の決断
11:15 三方ヶ原の地形
12:08 武田の布陣
12:43 徳川の布陣
13:33 開戦
14:49 武田の猛攻
15:40 総崩れ
16:31 夏目吉信
17:15 浜松城へ
18:25 犀ヶ崖
19:14 戦いの損害
20:04 信玄の最期
21:51 しかみ像
22:35 長篠へ
23:36 まとめ
■ 参考・出典
・『三河物語』『信長公記』『甲陽軍鑑』、徳川美術館の研究(しかみ像)ほか
・布陣は、江戸時代の軍記や明治時代の参謀本部の研究などに基づく通説の配置を、おおよその位置で示したものです
・兵数・年齢は通説によるおよその値です(年齢は数え年)。逸話には後世の創作とされるものを含みます
・地形・地図:国土地理院 地理院タイル(標高タイル)を加工して作成
・河川:© OpenStreetMap contributors
再現ムービー:Google Veo で生成
ナレーション:VOICEVOX:青山龍星
音楽:OpenTracks(旧DOVA-SYNDROME)
・「旭のもののふ」秦暁
・「大河」伊藤ケイスケ
・「Samurai Moon」Kyaai
・「鈍色の火」shimtone
・「乱世の花」カピバラっ子
・「崩壊」田中芳典
・「陣幕」のる
・「白に染まって」蒲鉾さちこ
・「戦乱ヒロイズム」K'z Art Storage
・「合戦の時」shimtone
・「プロジェクトα」伊藤ケイスケ
・「絵巻物」伊藤ケイスケ
・「野山」伊藤ケイスケ
・「Rising sun/開明」田中芳典
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