【古代史ミステリー】天皇家はどこから来たのか|神話・東遷・騎馬民族・王朝交替…7つの説と、誰も入れない古墳
天皇家はどこから来たのか。『古事記』『日本書紀』の天孫降臨と神武東征、九州の勢力が東へ移った邪馬台国東遷説、奈良の纒向から育った大和在地発展説、江上波夫の騎馬民族征服王朝説、水野祐の三王朝交替説、中国の歴史書に残る呉の太伯説、そして在野の説。7つの説を、それぞれの物証(平原遺跡の大鏡、纒向の大型建物、誉田丸山古墳の鞍金具、今城塚古墳、赤烏の年号鏡など)と弱点と一緒に紹介します。最後に、なぜ答えが出ないのか、天皇陵と発掘の話で締めくくります。
この禁書庫は、夜9時に開きます。
0:00 はじめに
2:09 映画『もののけ姫』
3:27 第一の説 記紀の伝承
7:42 第二の説 邪馬台国東遷説
9:22 第三の説 大和在地発展説
11:24 第四の説 騎馬民族征服王朝説
14:08 第五の説 三王朝交替説
17:09 第六の説 呉の太伯説
19:11 第七の説 在野の説
20:04 説の組み合わせ
20:30 なぜ答えが出ないのか
出典:
・『古事記』(712年)・『日本書紀』(720年)― 天孫降臨(くじふる岳)、神武東征の道筋、崇神・神武の「はつくにしらすすめらみこと」、継体の系譜、海幸彦=隼人の祖。
・『三国遺事』巻二「駕洛国記」― 建武18年(42年)、亀旨峰に紫の縄が下り、紅い布に包まれた金の箱に黄金の卵6つ。
・北畠親房『神皇正統記』(1339年)― 呉の太伯の後裔説を退ける記述と、桓武の代に書が焼き捨てられたとする記述(ウィキソース本文)。
・『魏略』逸文(『翰苑』所引)・『晋書』四夷伝・『梁書』諸夷伝 ― 倭人が太伯の後と自称。
・和辻哲郎『日本古代文化』(1920年)/江上波夫ほか座談会(1948年、『民族学研究』13巻3号)・『騎馬民族国家』(1967年)/水野祐の三王朝交替説/佐原真『騎馬民族は来なかった』(1993年)/津田左右吉の著書の発売禁止と起訴(1940年)。
・纒向遺跡(桜井市纒向学研究センター)、箸墓古墳、平原遺跡(糸島市・伊都国歴史博物館)、吉野ケ里遺跡、西都原古墳群、誉田丸山古墳出土鞍金具、蔀屋北遺跡(大阪府教育委員会)、好太王碑、今城塚古墳(高槻市)、隅田八幡神社人物画像鏡、鳥居原狐塚古墳の赤烏元年鏡(山梨県埋蔵文化財センター)、安倉高塚古墳の赤烏七年鏡、稲荷山古墳出土鉄剣。
・陵墓の立ち入り(衆議院質問主意書 第174回国会 第535号)。
・『もののけ姫』(1997年、スタジオジブリ)。
・写真 ― Wikimedia Commons(各作者・ライセンスは画像出典一覧のとおり)。地図 ― © OpenStreetMap contributors。
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