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【昭和まで生きた】林忠崇の生涯をまとめてみた【最後の大名】聞き流し・寝落ちOK

歴史を学ぶ貴族でおじゃる736,605回視聴投稿日: 2026/09/05
昭和16年(1941年)1月22日、東京・豊島区のアパートで一人の老人が亡くなりました。 新聞はその死をこう報じました。「最後の大名、逝く」。 彼の名は、林忠崇(はやし ただたか)。 上総国・請西藩(じょうざいはん)一万石の第三代藩主。 江戸幕府が倒れる戊辰戦争で、藩主でありながら自ら「脱藩」し、遊撃隊とともに新政府軍と戦った、日本でただ一人の大名です。その代償として、林家は江戸時代最後の「改易」、つまりお取り潰しになりました。 殿様から、農民へ。役人へ。商家の番頭へ。寺男へ。 そして25年後の家名再興、日光東照宮の神職、「最後の大名」としての晩年、娘のアパートで迎えた最期。 この動画では、江戸・明治・大正・昭和の四つの時代を生き抜いた林忠崇の生涯を、通史でたどります。 ■ この動画でわかること ・徳川最古参の家臣「林家」と「兎の吸い物」の伝承 ・なぜ藩主自身が脱藩するという前代未聞の決断をしたのか ・箱根の戦い、東北転戦、仙台での降伏までの半年間 ・会津藩ですら再興を許されたのに、林家だけが領地ゼロになった理由 ・元大名が明治をどう生き抜いたか(7つの職業を転々) ・「辞世なら明治元年にやった。今は無い」という言葉の意味 ■ 林忠崇 略年表 嘉永元年(1848) 江戸の藩邸に生まれる。藩主・林忠旭の五男 慶応3年(1867) 叔父の急死により20歳で請西藩主に。同年、大政奉還 慶応4年(1868) 閏4月、藩主のまま脱藩。遊撃隊と共に出陣、真武根陣屋を焼く         5月、箱根の戦い。以後、常陸・磐城・会津・仙台へ転戦 明治元年(1868)10月、徳川家存続の報を受け仙台で降伏。林家は改易 明治5年(1872) 赦免。旧領・請西村で帰農。以後、東京府役人、函館の番頭、寺男、大阪府書記 明治26年(1893) 旧藩士の嘆願で林家が男爵に。家名再興 明治32年(1899) 日光東照宮の神職に 大正4年(1915) 岡山で次女ミツのもとに身を寄せる 昭和12年(1937) 浅野長勲の死去により、旧藩主の最後の生き残りに 昭和16年(1941) 1月22日、豊島区高田のアパートで死去。数え94歳 ■ 登場する言葉 「くもりなき 心や見せん 明日の夜は かばねも露に 照らす月影」(出陣の歌) 「真心の あるかなきかは ほふり出す 腹の血しおの 色にこそ知れ」(降伏時の辞世) 「琴となり 下駄となるのも 桐の運」(晩年に詠んだと伝わる句) 「辞世なら、明治元年にやった。今は無い」(晩年、記者に求められて) ■ 補足・おことわり ・年齢は原則として数え年で表記しています(没年は数え94歳、満92歳)。 ・家督相続の月、出陣人数(藩士67〜70名+遊撃隊36名)、明治期の職歴の順序などは資料により表記が異なります。動画内では主要な説に基づいて構成しました。 ・「琴となり下駄となるのも桐の運」の句は一部資料にのみ見られるため、「伝わる」としています。 ・挿絵・新聞風画像はAIで生成したイメージであり、実際の写真・史料ではありません。 ■ 主な参考資料 ・林忠崇 ― Wikipedia ・林忠崇 ― コトバンク(20世紀日本人名事典・日本人名大辞典ほか) ・「徳川家再興」に命を懸け、豊島区のアパートで死去した“最後の大名”の数奇な人生 ― ダイヤモンド・オンライン ・林忠崇~殿様なのに脱藩!徳川のために戦った男が残した辞世 ― 歴史街道(PHP研究所) ・最後の大名 請西藩第3代藩主 林忠崇 ― To KAZUSA ・林忠崇の人生が波乱万丈すぎ! ― Japaaan ・林忠崇とは ― 人物事典 幕末維新 チャンネル登録・高評価をいただけると、次の動画制作の励みになります。 コメントで「この人物を取り上げてほしい」というリクエストもお待ちしています。 #林忠崇 #最後の大名 #請西藩 #戊辰戦争 #幕末 #明治維新 #日本史 #歴史解説 #伊庭八郎 #遊撃隊 #木更津

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