もしも上杉謙信と織田信長が同盟を続けていたら!?|手取川の戦いがなければ、天下はどう変わったのか【1576】
1576年の春。上杉謙信は、3年半手を組んできた織田信長と別れ、信長が戦っている本願寺と和睦しました。翌年の秋、二人の軍は加賀の手取川でぶつかります。
もし二人が組んだままだったら、日本の勢力図はどう変わっていたのか。史料に残る予定と、二人が実際に取った国を、1920年の郡の地図で確かめます。
■ この動画でわかること
・1576年春、信長と謙信を足した石高と、日本の中での大きさ(のちの1598年の石高で数えた値)
・組む前、信長は信玄にも「上杉と戦になれば力を貸す」と約束していた(2020年に原本が見つかった信玄の手紙)
・1572年11月、信長が謙信に送った「前代未聞の無道」の手紙と、その前に信長がしていたこと
・1575年、越前と加賀の南を信長が取ったあと、謙信が勝頼と、そして本願寺と和睦するまで
・七尾城の落城と手取川、謙信の手紙「案外ニ手弱之様体」
・もしもの地図(北陸と東)と、どのもしもでも変えられない1578年3月13日
■ 目次
0:00 はじめに|もしも謙信と信長が同盟を続けていたら
1:05 第1章 1576年春の地図
2:42 第2章 3年半の同盟
4:54 第3章 同盟が破れた春
7:34 第4章 もしもの地図・北陸
8:48 第5章 もしもの地図・東
9:49 第6章 もしもの地図・完成
11:15 さいごに|一つだけ変えられないこと
12:22 次の動画へ
■ 「もしもの地図」について(大事なこと)
・「9月に一緒に甲斐を攻める」は、信長が謙信に送った書状に残る予定です(書状の年は天正2年か3年かで揺れます)
・加賀の北を上杉、南を織田とした分け方、能登が戦わずに上杉に入ったこと、信濃の北と上野を上杉、甲斐と信濃の南を織田、駿河を徳川とした分け方は、もしもの話です
・謙信と信長の同盟が続いた場合を論じた研究は見つかりませんでした。同盟が続いた先の地図は、すべて想像として見てください
・画面では、もしもの地図を斜線と「もしもの地図」の朱印で、本当の地図と見分けられるようにしています
■ 地図と数字について
・境界は1920年(大正9年)の郡・市町村で、戦国時代の領地をおおよそで表したものです。郡の線引きは、城と国衆の位置からのおおよそです
・1576年の石高は残っていないため、のちの慶長3年(1598年)の国ごとの石高で数えました(全国の合計は約1850万石。郡の中は面積で配った仮の数字です)
・手取川の戦いは『信長公記』に記述がなく、規模ははっきりしていません
・洛中洛外図屏風(上杉本)を信長が贈ったことは、通説ですが異論もあります
・謙信が信長に不満を持ったという話は、研究者の見方です
・謙信と勝頼の和睦の年は、1575年10月(『上越市史』)とする見方を採りました(1576年とする書き方もあります)
・場面の絵と人物の絵は、AI で作った想像図です(洛中洛外図屏風は本物の画像です)
・声は AI の合成音声です
■ あわせて見たい
・もしも上杉謙信と武田信玄が手を組んでいたら → • もしも上杉謙信と武田信玄が手を組んでいたら!?|宿敵の二人は、信長を止められたのか【...
・本能寺の変がなかったら、天下の勢力図はどう変わっていたのか → 明智光秀の回 • 明智光秀が止めた信長の予定|本能寺の変がなかったら、天下はどこまで塗られていたのか【...
■ 出典・クレジット
地図:国土地理院 地理院タイル(陰影起伏図)を加工して作成
地形(冒頭の3D映像):国土地理院「標高タイル」「陰影起伏図」を加工して作成
郡・市町村の境界:『歴史的行政区域データセットβ版』(CODH作成) doi:10.20676/00000447(元データ:国土数値情報「行政区域データ」(国土交通省))
石高:Wikipedia「旧国郡別石高の変遷」(CC BY-SA 4.0)の慶長3年の石高をもとに加工
https://ja.wikipedia.org/wiki/旧国郡別石高の変遷
洛中洛外図屏風(上杉本・右隻、狩野永徳筆・米沢市上杉博物館蔵):Wikimedia Commons(パブリックドメイン)
参考にした研究(辞典・紹介記事などを通して):矢田俊文『上杉謙信』(ミネルヴァ書房)、谷口克広『信長と将軍義昭』(中公新書)、池上裕子『織田信長』(吉川弘文館)、乃至政彦『謙信×信長 手取川合戦の真実』(PHP新書)、小島道裕『描かれた戦国の京都』(吉川弘文館)、丸島和洋・金子拓(2020年の信玄書状の調査)
音声:ElevenLabs
BGM:MagaMaga「WAR ZONE」(OpenTracks)
効果音:効果音ラボ
人物画・場面の絵:画像生成 AI で作成
#上杉謙信 #織田信長 #戦国時代 #勢力図 #日本史
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